ここまで読んできた皆さんがどうお感じになるかは分かりませんが、今こそディスコ本来の成り立ちとその歴史、そして日本のディスコ〜クラブの歴史を書き留め、次の世代に伝えたいと強く思いました。今は離れてしまいましたが、CCCC(クラブとクラブカルチャーを守る会)立ち上げのタイミングで多くのDJ/アーティスト達にも、運動への参加/協力もお願いし続けましたが、一番ショックだった一つに多くの先輩方から口々に話される台詞が同じものだった事でした。「Watusiさん、今の日本のクラブに守りたいパーティや、ましてはカルチャーなんてあるの?」。。。。。
一体東京にとって、ニューヨークにとって、ディスコとは、クラブとはなんだったのでしょう?僕はそうした法改正運動の中でも自問自答してきました。もちろん歴史からのシンプルな答えは、メインストリートに対するカウンターカルチャー、心地よく、陽の当たらないマイノリティ達が唯一安心して深呼吸できる、集える逃げ場だったと思います。その特殊さも時に時代ともリンクして、そんな意識の無い多くの一般層をも集客する磁場を持ち得るブームを生みましたが、一旦そうなると今度はそのシーンに対してのカウンターとして新たなサブカルチャーを生み出していく。さらに、肥大していくそのカウンターカルチャーにも、さらなるカウンターを生み続け・・・そんな繰り返しもディスコというカルチャーの宿命なのだと思っています。
クラブがカルチャーとまで呼ばれ確立した’90年代以降。フロアに集った全てのお客全員に一定以上の満足感を与え続けることを一義とし、リクエストも受け付け毎週のヒット中心にプレイする今日のディスコDJのスタイルと、そのパーティの音楽的な志向から外れることなく、かつ「誰にも知られていない曲や知らないヴァージョン」中心で盛り上げて行くことを良しとするクラブDJのスタイルとを一緒に語ることが難しいように(当然のことですが、フロアの状況を読む力と一夜のストーリーを生み出す知識/経験/技術を持ち得ていない限りDJなどはできませんが)、今のディスコ/クラブのあり様を’70年代のものに当てはめて語ることはナンセンスな事かもしれません。それでもフロアがその中心だったはずのパーティが、出演DJの独りよがりのプレイで冷え込んでいたり、早い時間からピークタイムの選曲で自身のプレイタイム中の事しか考えられないDJがオープンを勤めていたりという昨今の日本のパーティの様子を目にすると、長きに渡る風営法による摘発によって一夜のパーティに集い繋がり合うという意識も次第に失われていき、営業的にも追い込まれた経営者たちの切実な現状とも合間って、シーンは大きく変わってしまったと感じています。もちろんブレる事なきアンダーグラウンドのパーティを続けているシーンはまだまだ各地にありますし、早い時間帯や日曜開催のボカロやアニソン・パーティのようにこれまでにシーンに対してのカウンター・カルチャーとも言える新しい流れも生まれているとは思います。
世界に目をやると、EDMという欧米共に世界中でこれまでにない程大きな、同ジャンルのダンス・ミュージック・フェスが主流となる時代を経て、そのシーンも多きく変貌していきました。数十万人も収容の野外フェスのチケットがあっという間にソールドアウトしてしまう程、メイン・ストリームは巨大化し、アジア各国を含む世界を席巻しています。中国や韓国はもちろん、シンガポール、インドネシアからフィリピンまで、近隣のアジア各国のクラブやディスコに足を運んでみると、無数にある巨大クラブのその数と、足を運ぶ人の多さ、そしてそこで消費される金額の大きさに、日本という島国のダンス・ミュージック・シーンは最早追いつくことなど叶わないのではと思う程のパワーを目の辺りにします。しかし同様に、世界を席巻したダンス・ミュージックを見るにつけても今、’60年代から理由を持って踊り続けて来た人たちのディスコという場所の意味を思い出さずにいられません。表層だけでなく、本来ディスコとその歴史が最も大切にして来た、集い繋がる気持ち=「あらゆる人々に対して寛大で、あらゆる全ての人々を対等に扱う」、そうしたカルチャーの基本が果たして今も受け継がれているのか、そんな疑問が消えません。次々にカウンターを生み、形を変えていくハイプな宿命を含めたそのシーンをカルチャーと呼ぶならば、僕はもっともっとシーンが大切にしてきた、そして9/11で壊されてしまった、確かな、深く繋がり合う気持ち=ユニティが今、改めて欲しいと思ってしまいます。
ディスコ/クラブという場所が、日常から逃れひととき興じる場所から始まり、その場所を選ぶ集ったあらゆる人々が互いに認め合い、ユナイトするコミュニティの場となった瞬間にカルチャーとなって行くことができた、そうした歴史や自身の経験を僕は何より大切に思っています。
カナダ出身のアメリカで活動した歴史学者、ウィリアム・ハーディー・マクニールは彼の著書、『人間の状況―環境と歴史の視点』で、人間の経験の曖昧さを知らしめた一方で、歴史研究は多くの現実的な知恵をもたらすという期待を表明しています。こうしたディスコの歴史を辿って行く事は同様にこれからへの沢山の知恵を与えてくれると僕も期待し書き進めました。さらに彼は戦時中にアメリカ軍のアリゾナ基地に駐屯、しヨーロッパ戦線に派遣されるのを待っていたのですが、終戦間際だったので実際に派遣されることはなくずっと行進だけしていたそうなのですが、それは彼の人生の中でとても幸せな時間だったそうです。彼は人間が同調して動く時間こそがコミュニティー誕生の原動力だと語っています。そう、ダンスとは人間が互いにコラボレートする始まりなのです。
近年、英語圏でのポピュラー・ミュージック音楽研究や大衆文化研究においても、ディスコを積極的に再評価する研究が様々に進んでいます。それほどディスコとは’70年代に生まれた時代精神を体現するものでした。ディスコの国際的かつ脱中心的な広がりも注目されています。僕は近年のクラブカルチャー絶対論者でもなく、初期アンダーグラウンドのゲイ・カルチャーとしてのディスコのみを肯定する気持ちもなく、本来ディスコの持っていた、多様性が拡散され続けていくパワーを何よりも楽しく思っていました。ただ、そんなディスコの平等性や多様性という遺伝子がもっともっと全国各地に、ジャンルも地域も世代も超え、国境さえも超えて広がり、認め合い、繋がり合う気持ちがリビルドできたなら、それはもう一度代謝を繰り返し得る力を持ち、全てを繋ぐハブとして、改たなカルチャーになっていくのではと思っています。
そんな思いの中、ニューヨークと東京のディスコの成り立ちの歴史と関わってきた多くの方々に改めて敬意を払うと共に、今日の、そしてこれからの日本のクラブ状況にとっても、その歴史には沢山の学ぶべき事柄があるのではと思い直しています。なので時間をかけて再認識したく、そんな自分の為に記事を書き進めて来ました。
沢山の先駆者達に感謝と尊敬の念を込め、永遠のナイトリストたちにこの記事を捧げます。
引用資料
ここまで書いて来た事は下記の書籍に事細かく書いてあります。本書はそれらをサンプリングしたようなものです。作者の皆様に改めて敬意を払うと共に、興味を持った方は是非実際に著書を手に取り、細かく読みふけっていただけたらと思い、謹んでご紹介させていたします。
『パラダイス・ガラージの時代』上/下巻 メル・シュレイ著 ブルースインターアクションズ
『ラヴ・セイブズ・ザ・デイ』ティム・ローレンス著 ブルースインターアクションズ
『All About Disco Music』TOKYO FM出版
『Back To Soul 70年代ソウル』ソウル・ロマンチカ著 学陽書房
『70’s SOUL』 井田 圭 監修 レコード・コレクターズ増刊
『DISCO!』大久達郎 監修 シンコー・ミュージック・エンタテイメント
『東京ディスコ 80’s&90’s』 岩崎 トモアキ 著 K&Bパブリッシャーズ
『ブラック・コンテンポラリー・ミュージック・ガイド』金澤 寿和 監修 水声社
『クイア・スタディーズ』 河口 和也著 岩波書
『DJバカ一代』高橋 透 著 リットーミュージック
『踊る昭和歌謡 リズムから見る大衆音楽』輪島 祐介著 NHK出版
『歌謡曲〜時代を彩った歌たち』高 護 著 岩波出版
『夢を食った男たち』阿久 悠 著 文芸春秋
『「誰にも書けない」アイドル論』クリス 松村 著 小学館