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僕とJagatara。Jagatara2020に寄せて。

僕とJagatara?なんていうとJagataraメンバーそれぞれが意味深いコメントを返していた彼らの映像を思い出しますが、僕は・・・

沢山の皆さんが語っているような、今回のJagatara2020の趣旨でもあるフロントマン、江戸アケミさんとの深いお付き合いは無いんです。80年代初期に僕がやっていたSPY-KICKSというバンド(後にMOMOYO&SPY-KICKS〜VISIONARY FRONTともなる)でLIVE INなどで対バンがあったり、下北の飲み会で何度かご一緒したり挨拶や軽いお話はしたことあります。でもね、音楽の話含め深い話は一方的に聞いていただけ。

僕が聞いた多くのアケミさんの話はOtoから、南から、そして篠ちゃん(篠田昌已)からです。

なので僕の体験したJagataraというと今回の趣旨とは外れますが彼らの音を語るのが精一杯。そしてそう、Jagataraの音と言うとOtoの事。Ebby、テイユウ他、篠ちゃん、エマーソン、ヤヒロさん、村田くん、yukarie、そして親戚のように勝手に思っている南、話したい方はたくさんいますが、今日は加入以来サウンド面を引っ張っていった僕の知るOTOの事を勝手ながら来週からの彼らの一大法事事へのはなむけとして書かしてもらいます。

Jagataraの時代、80年代に入るとPunk〜NewWave以降のロックは形骸化もしていき、新しい音楽としてのポジションはHipHopやHouseに取って代わられていきます。そしてやってきたのがワールドミュージックと呼ばれた世界的なブーム。欧米中心の音楽スタイル以外はエスニック=民族音楽と偏見的に呼ばれていたそうした音楽達が、音楽自体の素晴らしさは元より、ロックやクラブミュージックを体現した後の身体に全く新しい音楽として捉えられる時代が来たのでした。自国のもの含め民族的な音楽が大衆の今を表すポップス、さらにロックのようにこれからの音楽として聞こえて来た時代でした。

非欧米圏からワールドワイドに火がついたジャンルにはもちろんマンボやサルサなどの南米圏の音楽、そしてレゲエがありましたが、79年にボブ・マーリーのステージを体験したショックとはまた違った、全身が震えだす衝撃を感じたのが、丁度10年後に来日した89年のサイフ・ケイタのステージでした(オープニングはJagataraが)。

既にフェラ・クティは僕らの地肉となっていた頃でしたし、後光が差していた代々木のサニー・アデや体験するたびに背筋ゾクゾクだったヌスラット・ファテ・アリハーンなど前後して様々な素晴らしい体験がありました。そんな中でも自分が欲していた、新しい音楽としてロックと呼んでいたのその全てもが、サイフ・ケイタのステージにはありました。またライブ後にサリフ・バンドの要でもあるドラマー、ブリス・ワッシーとスタジオでセッションする事ができ、お話しする事でその深みをより一層理解することができ(彼自身がパリの音楽大学で学びマリの音楽を理解し直していったという経験談など)、更に興奮は沸点を超え、HipHopを、ダンスミュージックを知りサンプラーを買いに楽器屋に走った頃以来の衝動でサリフの曲を打ち込みで、生演奏で、コピーするところから始めていきました。そしてそんな時代に急速に僕よりも何歩も先行しそうした音楽に精通し、JAGATARAでもアプローチしていたOTOと仲良くなっていきました。

何より惹かれたのはOtoは彼、人間そのものが音楽だって感じるところ。Jazzなんて音楽は無くてJazzな人がいるだけってのはタモリさんの名文句ですが、Otoほど存在自体に音楽を感じさせる人はいません。造詣が深いのは勿論でしたが、とにかく話しているとワクワクするし、時に鋭い指摘に背筋がシュンとする、そして笑っていると周りの全員がどんどんHappyになっていく、そう、歩く音楽のような人間です。生涯彼には勝てないって思ったのが彼がインドネシアの歌姫、エルフィ・スカエシの現地レコーディングに訪れた時の映像。大した挨拶も無かったように見えたコントロールルームで、流れる音楽にどんどん笑顔になって踊り始めるOto、そして釣られ居合わせた方々がどんどん踊り始めHappyになっていくその様子ったら(笑)僕は若さもあり、正直嫉妬とそんな奴には到底自分はなれやしないという失望感さえ味わいました。そう、嫉妬するほど笑顔の旅する音楽人、それがOtoなんです。

そんなOtoからの誘いで(もう一人の雄、Ebbyちゃんとも小泉今日子さんのレコーディングやライブに朝本たちと参加し、仲良くさせていたりもしたタイミングでもあって)アケミさんの没後、彼の詩集が発売されるタイミングでJagataraを封印するLiveをやるからとBassで参加したのがもう27年前の事。とんでもなく濃いかったと言う事もありましたが、なんてったって1度きりのLiveの為にベイシックメンバーの合宿リハーサルから始まり、都内に戻ってもゲスト交えて10回リハありましたから(今でも回数覚えてる/笑)。合宿もね、毎晩深夜12時過ぎまでやっていてリハの最後にSUPER STAR?っていう20分を超える難局があって、それを最後まで誰も間違えないで終われたら今日は終わろうっていう超体育会的なやつでした(笑)でも終わってからがまた長くて、ご飯〜酒宴〜喧嘩が朝どころか昼まで毎晩続いてた(僕は朝には就寝、昼に起きてみんなにもう始めるよ!役になってました)。

そのね、SUPER STAR?って曲が僕は本当に大好きで大好きで。僕が好きなファンクや体験してきたワールドミュージックの様々なエッセンスが、そして何と言っても次々に多様でありつつ音楽的な視点で見定めた繋がりのある曲同士をMixしていくという、DJのスタイルを熟知していないと思いつかない、メドレーでは無く多様な曲が繋がった大きな旅をするような曲だった。

そんな猛稽古を続けたSUPER STAR?も当日出だしの歌をOto本人が思いっきり抜けてぶっ飛ばして(笑)・・・なんて辺りも憎めないOtoらしさなんだけど、語るより何より興味のある方には是非本編3時間以上もあった下のLINK先の映像を見てもらいたい。だってこの映像を見て僕ようやくわかったもの。アンコールの最後の最後、座ってギターを弾き続けるこのOtoの笑顔、リハーサルの直前に突然篠田くんが亡くなってしまって、それでもやれるのか悩みあったり、あんなにあんなに時間を使いあって鬼のようにリハーサルやったのは、この笑顔が見たかったんだよねって。少なくともあの時の僕はそうだった。

Jagatara2020は法要、しかも恐らく最後の法事事だと思ってます。見届けられる方は是非そんな笑顔を一緒に楽しんできて欲しいと思ってます。そしてメンバーの30回忌にこれほどの思いと時間を共有し合い集まれるバンドが、そしてそう思わせるシンガーがいた事を共有してきて欲しいと思ってます。

だから音楽は、ロックは最高なんだよねって。

では来週のLiveの予告編としてそんな28年前の映像を。
(そしてその後、篠田昌已追悼イベントでTangosが生まれって話はいつか時が来たらまた)。

JAGATARAなきJAGATARA