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New Album  Core

今宵Was (Not Was)と

さらにZEレーベルのお話を。

誰をご紹介しようかと悩みましたが、その前にもう少しZEレーベル全体のお話を補足したいと思います。

1978年にニューヨークでZilkhaとEstebanがレーベルをスタートさせてからと言うもの、時を同じくして盛り上がりを見せていたポスト・パンクのアーティスト達、ミュージシャン(志望)だけでなくそれこそ画家、俳優、映画監督(志望)からミュージック・ライター達までが、ZilkhaとEstebanの周辺に集ってくるようになり、ZEレーベルはそうした連中の出会いの場であり、実験室のような状態でもありました。

そんな中でも他のインディ・レーベルと違っていたのは彼らが、前述したように基本、異邦人のジャーナリストであり、ニューヨークのアーティスト達と同化しインディペンデントな手法に拘る事無く、レーベルをメジャー流通に積極的に売り込んでいったり(79年にはクリス・ブラックウェルのアイランド・レーベルと原盤供給の契約を果たします)、毎晩名前の挙がってくるAugust Darnellはもちろん、その後The Rolling Stones、Bob Dylan、Willie Nelson等大御所の大御所をプロデュースしていく事になる、ベーシストだったDon Was等、見いだした希有の才能を持つミュージシャンに、昨日紹介したCristinaのようなZEのレーベル・カラーとなるアーティストのプロデュースや各々バンドをやらせて行った所です。

ドンとデビットとワズ兄弟のグループというふれこみだった(そこが既に変ですが/笑)Was (Not Was)(実際にはフェイグンソンとウエイスという従兄弟が中心)も、最初はレーベルの要請でバンドを組んでライブを始める事がスタートだったと語っています(1stアルバムなどはDon Wasのスタジオ・ワークの果てという感じでしたが)。

そして実はAugust Darnell(元々はDr. Buzzard’s Savannah Bandのベーシストね)とDon Wasというふたりのベーシスト/プロデューサーの他にもうひとり、ZEレーベルに同時代に関与したベーシストがいました。その名はBill Laswell。後にHerbie HancockのHIPHOPを取り入れた大ヒット作「Future Shock」やMick Jagger等のプロデュースを手掛ける大物プロデューサーとなっていく彼も、70年代のニューヨークの実験的シーンに触発され、William S. Burroughs(ウィリアム・S・バロウズ)やDaevid Allen (デヴィッド・アレン)、Brian Eno (ブライアン・イーノ)達と深く関わりながら、『NO NEW YORK』でZilkhaとEsteban等と関わって行くようになりました。彼のバンドMaterialも彼のプロデューサーズ・ユニットという性格のものでしたが、そうした担当楽器も、当時やっていたバンドの形態も同様の、3人のプロデューサー達が関わっていたレーベルでした(なので3人の仲はあまり良く無かったという噂も/苦笑)。

そんな話も、聞いていた当時ちょうど打ち込んで音楽を作り始めていたベーシストであった僕が、シンパシーを感じた所以でもあったんじゃないかと、改めてうっすら感じる40年後の僕です。明日もZE話続けます。

Was (Not Was) – Out Come The Freaks (1981年)